箱根駅伝の歴史
| 箱根駅伝の歴史は1920年(大正9)、今から84年も前に遡ります。創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの活動によるものです。金栗は、東京高師の学生時代に日本が初参加した1912年(明治45)のストックホルム五輪にマラソン代表として出場しましたが、途中棄権に終わり、失意のまま帰国しました。帰国後「世界で通用するランナーを育成したい」との熱い思いから、長距離・駅伝普及に長年つとめ、周囲の賛同を得ていく中、1920年(大正9年)に早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)のが参加し、第1回大会が実現しました。第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で行われたのは、こうした事情によるものです。 法政大学はこれまでに往路優勝・復路優勝の経験が1回ずつあります。総合優勝はまだなく、最高順位は3位です。戦前に短距離選手ながら箱根駅伝を走った大木正幹はその後オリンピックで400Mを走り、現監督の成田道彦は箱根駅伝の2区で瀬古を破った経験があります。 |
